第三話
白い翼の少年
【前編】



 ザァァァァァァッ………
 土砂降りの雨が、山道を走る二人の武者に襲いかかった。
「じーさんの嘘つき――――――!! 土砂降りになるなんて聞いてねぇぞ――――――!!!」
「いいから走れっ! あそこ見える山寺まであと少しだ!!!」
 ひたすら嘆く黒翼に向かって、双翼が言った。
 ことの始まりは、今から二時間ほど前である――


 双翼と黒翼は朝早く、於雄得山のふもとにある村・於雄得村【オオエむら】に到着した。於雄得山で修行をするつもりだった二人は、山に登る前に村で休憩を取ることにしていた。
「とりあえず、軽く何か食べたら於雄得山へ出発しよう、いいな?」
「もちろん!」
 茶店でお茶を飲みながら二人は話していた。そこへ、たまたま通りかかった村の老人が話しかけてきた。
「お若いの、於雄得山へ登るのかね?」
「あ、はい、山で武術の修行でもしようと思いまして。」
「そうかそうか。この空の様子なら天気はそう悪くはならないじゃろうから、修行にはちょうどよいじゃろう。」
 老人はそう言うとほっほっほと笑った。
「そう悪くならないって……どれくらいまでは悪くなるかも知れないんだ?」
 天気が気になるらしく、黒翼が聞いた。
「まぁ、最悪雨が降ったとしても小雨が少し降る程度じゃろう。このじいは於雄得山を七十年見てきたからの、間違いなかろうて。」
「ふーん、そっか。」
 老人の返事を聞き、黒翼はそう言って笑った。約二時間後に、土砂降りの雨に打たれることなど夢にも思わずに。


「…! つ、着いた!!」
 山の中で長く続く石の階段を発見し、双翼は言った。その階段はだいぶ上まであり、その先には寺が見えていた。
「よし、黒翼、あの寺で雨宿りをさせてもら……って、黒翼?」
 双翼は黒翼の方を振り向きながら言ったのだが、そこに黒翼の姿が見えない。よく見ると黒翼は、まだ下のほうでゼイゼイと息を切らしていた。
「おーい、黒翼! 大丈夫かー?」
「だ、だいじょぶでっす……」
 双翼が呼びかけると、黒翼は四つん這いに近い姿勢で何とか階段までたどり着いた。
「ほら、あと少しだ。」
「うああぁぁぁ…階段長ぁ……」
「じゃ、上るのやめれば?」
 黒翼が弱音を吐いていると、不意に、後ろから子供の声がした。そこには傘をさした、まだ幼さの残る少年が立っていた。
「てか、君らそこで何やってンの? 盗賊? 旅人?」
 少年は二人に近づきながら聞いた。
「あぁ、私たちは山に修行をしにきたのだが、急にこの土砂降りにあってな…この先の寺で雨宿りをさせてもらおうと思っているところだ。」
「ふーん。」
 双翼の返答を聞いた少年は、二人にまるで関心がないかのようにその横を通り過ぎ、階段を上り始めた。二人が呆然として立っていると、少年は階段を十段ほど上ったところで振り返った。
「…寺で雨宿りすんじゃないの?」
「え、あ、するつもりだけど…」
「じゃ、さっさと階段上れば?」
 少年はそう言うと、さっさと階段を上っていった。それを見、二人もまた階段を上った。


 二人が階段を上りきったところ、戸を開けた寺の中で先ほどの少年が待っていた。その手には二枚の手ぬぐいが握られている。
「さっさと入って。寺の中がぬれる。」
 少年はそう言って二人を手招きした。
「君は…この寺の人かい?」
 寺の中に入りながら、双翼が聞いた。
「まーそんなトコ。それよりさっさと体拭いてくんない?」
 少年はそう言って二人に手ぬぐいを投げた。双翼はそれを上手く受け取ったのだが、黒翼は失敗してそれを顔面に受けた。
「……あのさ、手ぬぐい貸してくれンのはありがたいんだけど、もっときちんと渡してくンない……?」
 言葉に多少の怒気を含みながら、黒翼が言った。が、対する少年は鼻で笑ってこう言った。
「…今の手ぬぐいぐらい受け取れないの? ……ださっ。」
「…!」
 瞬間、黒翼はキレた。
「なァんだとこのガキャぁ―――――!!」
「お、落ち着け黒翼っ!!」
 変幻しないかとハラハラしながら、双翼は、少年に殴りかかろうとする黒翼を押さえつけた。
「アンタだって十分ガキじゃん。」
 黒翼のことを冷めた目で見ながら、少年は言った。
「テメーのほうが明らかに年下だろーがっ!!」
「世の中、全てが年下か年上かで立場が左右されるとは限らないでしょ。それに、もし絶対的に年上が偉いんだったら、天宮の国は天宮一長生きのヒトしか治めちゃいけないことになるんだよ。」
 少年に言いたいように、しかも、明らかに自分のほうが間違っているかのようなことを言われ、黒翼はやりきれない様子でただひたすらに手足をばたつかせた。
「おや珍しい、お客さんかの?」
 黒翼と少年が言い合いをしているうちに、寺の奥から一人の老人が現れた。
「あ、どうも、お邪魔してま…」
 双翼はそう言いながらその老人の方を見た、が、その瞬間硬直した。続いてそちらを見た黒翼も、双翼とほぼ同じ反応を見せた。
 その老人の顔はやや潰れたような丸い形で、“ある物”にとても似ていた。
 ――ま、まんじゅうみたいな顔してる―――っ!!!――
 二人の頭にはそんな言葉がこだました。
「私はこの寺で住職をやっとる璽無坊【ジムぼう】じゃ。お前さんたち二人は旅人かね?」
「え、あ、そ、そうです……急な土砂降りに会ってしまったので、雨宿りをさせていただけないかと…」
 璽無坊に聞かれ、双翼は答えた。
「そうかそうか、一雨来そうだとは思っとったが、これほどの雨になってしまったからのぅ、大変じゃったろ。あがりなさい。」
 璽無坊はそう言いながら、双翼らを奥の部屋へと案内した。
「人が来たとこの子から聞いたのでな、お茶とお茶菓子を用意しとったんじゃ。さぁどうぞ召し上がれ。」
 璽無坊はそう言ってお茶とお茶菓子を勧めた。
「あ、これはどう…も……」
 双翼と黒翼は礼を言いながら、出された茶菓子に手を伸ばした、が、そのまま再び硬直した。
 出されたお茶菓子はまんじゅうであった。しかし、それには抹茶の粉で璽無坊の目(レンズ?)そっくりの模様が描かれていた。
 ――もはや璽無坊そのものだ――ッ!!!――
 二人は心の中で叫んだ。それに対して少年は、そんな二人を気にも止めずお茶を飲みながらまんじゅうを食べている。
「これは璽無饅【ジムまん】といいましてな、私が趣味で始めたまんじゅう作りの集大成なんじゃよ。」
 ――ウケか!? ウケ狙いなのか璽無坊!!!――
 そう思いながらも双翼は、恐る恐る璽無饅を口に含んだ。すると中に入っていたこしあんの甘味が彼の口の中いっぱいに広がった。実は於雄得村でもまんじゅうを食べてきていたのだが、そこのまんじゅうとはまた違った。ふっくらとした外の皮と、舌触りはなめらかだが少し控えめで上品な甘味をもつこしあんが、璽無坊のまんじゅう作りの腕のよさを物語っていた。
「おぉっ! 璽無饅美味い! 今まで食べたまんじゅうの中で一番美味いよ!!」
 双翼とほぼ同時に璽無饅を食べた黒翼がそう言い、二個目の璽無饅に手を伸ばした。
 ――確かに、私もこんなに美味いまんじゅうは初めて食べた! …だが…――
 双翼も黒翼と同じように二つ目の璽無饅に手を伸ばそうとした。しかし、変な話ではあるが璽無饅と目が合ったような気がして、そのまま手を引っ込めてしまった。
「おぉ、そう言えばお前さんたちの名前を聞いておらんかったのぅ。」
 璽無坊は思い出したように双翼と黒翼に言った。
「申し遅れました。私は双翼、旅の剣士です。」
「俺は黒翼! 一人前の武者になる為に、双翼兄貴と一緒に修行の旅をしてるんだ。あ、兄貴って言っても、この前義兄弟になったばっかだけどなっ。」
「…旅…」
 黒翼の言ったことに対して、さっきまで無言でお茶と璽無饅を食べていた少年が反応した。
「ん? 何だよ?」
「…別に。」
 何か気になることはあったらしいが、少年は黒翼と目が合うと、すぐにそっぽを向いてしまった。
「あ、ちなみに私が住職の璽無坊」
「さっき聞きました。」
 璽無坊がまた名乗ろうとしたので、双翼はとりあえずそれを遮った。
「そうだったかのぅ?」
「そうです。」
 双翼にはっきり言われると、璽無坊は少し腕を組んで考え始めた。そしてすぐに、思い出したかのようにポンと手をつき、少年のほうを見た。
「ちなみにこの子は白翼【ハクヨク】じゃ。五年前から私が育てておってな、気難しいがよい子じゃよ。」
 ――白翼、か…私や黒翼に名が似ているな。――
 双翼は璽無坊の言葉を聞き、そう思った。そしてせっかくなので白翼に何か聞いてみようと思った。が、璽無坊の話はまだ続いた。
「まだ小さいのに賢くてのぅ、術法は習得したし、難しい書物もスラスラ読むんじゃ。この寺には術法や天宮の歴史に関する書物が多くあるが、白翼はそれら全てに一度は目を通しておるよ。」
「えー、ありえねー。」
 黒翼が相槌を打つように言った。だが璽無坊は更に話を続ける気配がある。
「白翼は何故か柑橘系の果物が大の苦手でのぅ、以前旅の商人からもらったミカンでまんじゅうを作ったら全く手をつけてくれんかった。客も来る様子がなかったのでな、おかげでわしはそのまんじゅう三十個を全て一人で食べるハメになったことがあるんじゃ。」
「さ、三十個……」
「ミカンまんじゅうかー、それも美味そー。もったいねーなー。」
 双翼と黒翼はそう言って笑った(ただし双翼は苦笑い)。それでも璽無坊はまたしても口を開いた。
「代わりに山菜…特にタラノメが好きで……おっと、そうじゃ。」
 璽無坊はそう言いかけたところで、何かに気付き、白翼の方を向いた。
「ほれ、白翼、自己紹介しなさい。」
「もう言うことないから。」
 ―――その通りだ…――
 璽無坊に対する白翼の返答を聞き、双翼と黒翼は思った。


 その後も璽無坊の長話に付き合わされた双翼と黒翼は、気付くと昼ご飯の雑炊の準備も手伝い、一緒に食べ始める所まで来ていた。外は未だに雨、まるで何の前触れもなしに巨大な台風に襲われたかのような荒れようである。
「全然やむ気配がないのぅ。」
「そうですねェ…。」
 そんな言葉を交わす以外、四人は黙々と雑炊を食べていた。そして雑炊が大体片付いたところで、璽無坊が再び話を切り出した。
「ところでお二人さんは、このまま夜まで雨がやまなかったらどうするかね?」
「…本当は雨が降ったりする前に野宿できそうな場所を確保しようと思っていたんですが…」
 双翼はそこまで言い、その先のことで悩んだ。当然、野宿できそうな場所を確保する前に、とても外に出られないような雨に見舞われてしまったからである。
「もしよかったら、一晩泊まって行かんかね?」
 双翼が困っているのを見、璽無坊が言った。
「い、いいんですか?」
「まぁ泊まる代わりに、明日晴れたら、水汲みとまき割りをやって欲しいんじゃが……それと泊まっている間の食事の準備の手伝いも…」
「そりゃ泊めてくれるんだったらいくらでもやりますよ! ありがとうございます!!」
 双翼はそう言って璽無坊に頭を下げた。
「…食事の準備と言えばさ、何で黒翼はあんな包丁使い上手いの? 双翼さんは料理ダメだったのに、ありえない。」
 先ほどの雑炊作りを思い出して、白翼が言った。その瞬間、双翼は赤面した。
「や、その……スミマセン。」
 双翼は、雑炊に塩と砂糖を入れ間違えそうになったことを思い出し、謝った。ちなみに何で山の寺に砂糖があったかと言うと、璽無坊がまんじゅう作りに使えるかと思って、少しだけ買って置いたかららしい。
「うーん、俺も兄貴が料理ダメだってのは意外だったけど、俺は家で色々手伝わされたからさ。」
「ふーん。…あ、双翼さんは別に謝らなくっていいよ。」
 白翼は黒翼の話は真面目に聞かず、双翼にだけ丁寧に言った。
「……あのさ、お前俺にケンカ売ってる?」
「…別に。」
 そう言って白翼は黒翼から目をそらした、が、ちらりと黒翼の顔を見、ふふんと笑った。黒翼がまた白翼に殴りかかろうとするのを、双翼は必死に止めた。


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