第二話
黒い翼の若武者



「フム、ここが雷瀬留湖【ラッセルこ】か…」
 双翼は、天宮のある湖の湖畔に姿を現した。その湖の名は雷瀬留湖。天宮の中心よりやや北東に位置していて、悲しいものから美しいものまで、数多くの伝説を持っている。
「於雄得山【オオエやま】まではあと数日かかりそうだな…ここで少し休んでいくとするか。」
 双翼はそう言うと、その場に腰を下ろした。ちなみに於雄得山というのは、四代目大将軍の鬼退治や、過去の超将軍荒鬼【コウキ】頑駄無の故郷として有名だ。そこで双翼は、そこへ修行をしに行こうと思ったのである。
「…噂には聞いていたが、美しいところだな。それに、とても静か――」
 どっぱ―――――ん!!
 突如、大きな音とともに、対岸付近の水面に水柱が立った。水柱はすぐに崩れ、水しぶきとなって双翼のところまで飛んで来る――だが双翼はあまりに突然のことで、ただ呆然としていた。
「な……何事…?」
 双翼はそうつぶやき水柱の消えたあたりをよく見た。まず目に入ったのは、巨大なイカの化け物――そして次に、その烏賊の化け物の脚に捕らえられている、槍を持った若武者らしき少年の姿を見つけた。
「あ、あの妖怪は…烏賊参枚【イカザンマイ】!? こんなところにもいるのか…!?」
 双翼は妖怪の姿にあ然としていたが、若武者が水の中に引きずり込まれるのを見、我に返った。
「…って、ぼんやりしている場合ではない!!」
 双翼はそう言うと、湖の対岸へと走った。


「はっ…放せこのイカモドキ!!!」
 烏賊参枚に捕まった若武者は、その脚から逃れようと必死にもがいていた。しかし、対する烏賊参枚は若武者を解放しようとはせず、怒り狂ったようにバシバシと水面に叩きつけていた。
「ちくしょー!! 一体俺が何をしたぁ!?」
 若武者はひたすら叫びながら、とにかくもがき続けた。
「…いた、まだ無事か!」
 双翼は対岸にたどり着くと、先ほどの若武者の姿を確認すると、刀を抜いた。
「そこの少年! しばし動くな!!」
「へ?」
 双翼の声を聞き、若武者は後ろを振り向いた。そこには、今まさに自分たちのほうへと飛びかかってきている青年――双翼の姿があった。
「猛襲虎牙【もうしゅうこが】!!」
 双翼はそう叫ぶと同時に、若武者のそばスレスレのところで烏賊参枚の体と腕を斬り離した。
「ぎょろらあぁぁ!!」
 双翼からの一撃を食らった烏賊参枚は、奇妙な悲鳴を上げながら若武者を解放し、体から離れた腕を見ながらうろたえた。その間に双翼は、突然のことに固まっている若武者を烏賊参枚から引き離した。
「大丈夫か!?」
 双翼が問いかけたが、若武者はまだ固まったままだ。
「……君、聞こえてるかい?」
 双翼がそう言いながら目の前で手を振ると、若武者はようやく正気に戻ったようにハッとした。
「えっ? あっ、だ、大丈夫で……」
 若武者は返事をしかけたところで再び固まった。
「? どうした?」
 双翼が聞くと、若武者は黙ったまま双翼の後ろを指差した。
「ぎょろろろ。」
「ん?」
 若武者が指を差した直後に、双翼の背後からは妙な声(らしき物)が聞こえた。少々の嫌な予感を感じつつ振り向いた双翼は、そのまま若武者同様に硬直した。
「ぎょろらっ。」
 再び奇妙な一言。そこには、四匹ほどの無傷の烏賊参枚がいた。
 双翼・若武者と烏賊参枚、両者の間にしばしの沈黙と不動の時間が続いた。


 ドドドドドバシャシャシャシャッ
 盛大に音を立てながら、烏賊参枚は湖の中で双翼たち二人を追いまわした。
「あのっすみませんっ!! 助けてもらっといてなんですけど、何でアレ増えてんですかッ!?」
「どうもさっきの烏賊参枚が仲間を呼んだらしい! 火に油を注ぐようなマネをしてしまったようで真に申し訳ないッ!!!」
「ぎょろら――――っ!!!!!」
 妙な雄叫びを上げる烏賊参枚から必死に逃げながら、腰のあたりまで水に浸かった二人は話をしていた。幸い烏賊参枚はあまり素早くないが、水から抜け出せていない二人は逃げるのがやっとであった。
「い、いいか少年! あれは妖怪・烏賊参枚、見てのとおりイカの妖怪だ!」
「な、何かカニの殻っぽいのとか、背中にカメっぽい甲羅とかあるんですけど!?」
「そういう妖怪なんだ!」
 烏賊参枚の姿は奇妙なことこの上ない。全体的にはイカなのだが、若武者が言った通り、カニの殻やカメの甲羅によく似たものもついている。しかも、モノアイの上――額に大きな目玉まであるのだ。
「あ、言い忘れるところだった! いいか、絶対に烏賊参枚の額の目玉と目を合わせるな! アレと目が合うと――」
「え? あいつの額が…何ですか?」
 双翼が言いかけていると、若武者はよく聞こえなかったのか、とりあえず烏賊参枚の額を確認するため後ろを振り向いた。そして、たまたまその方向にいた烏賊参枚の額と、目が合った。
「ひ、額の…目玉…アレと目が合うと…?」
 若武者は一応正面に向き直ったが、先ほどの烏賊参枚が明らかに殺気を持った視線を向けているのが分かった。しかし双翼は、若武者が烏賊参枚と目を合わせてしまったことに気づいていない。
「何故だかは知らんが怒り狂って暴れ出すんだ。だから――」
「ギャ――――――――――!!!!!」
 説明を続けた双翼の耳に、若武者の悲鳴が飛び込んできた。何事かと思って振り向くと、烏賊参枚のうち一匹が若武者を触手で捕えて振り回していた。
「し、しまった!!」
 双翼は慌てて若武者の救出にかかった。だが――
「ぎょろろ〜〜っ。」
「!!」
 双翼の後ろには、腕を片方失った先ほどの烏賊参枚が現れていた。そして双翼の振り向きざまに、残った腕で強烈なはたき上げ攻撃を放った。
 しぱ――ん!
「うわっ!」
 水に体が半分浸っていたため双翼は攻撃をかわせず、一旦水から跳ね上げられた後、バシャンという音と水しぶきをたてて水中に沈んだ。
「!! 旅の武者様!!」
 若武者は双翼の叫びと水の音を聞いてそちらを向いたが、今度は目の合ったのとは別の烏賊参枚によって水に沈められた。
「…ぷはっ!」
 双翼は、ほんの少ししてから自ら顔を出した。復帰の速さに驚いている片腕の烏賊参枚から目をそらし、双翼は若武者の方を見た。しかしそこにあったのは、水の中に集中攻撃をかける四匹の、無傷の烏賊参枚の姿だけであった。
「ま、まさか――」
 若武者が四匹の攻撃で自ら出てこれないのに気づくと、双翼はすぐにそちらに駆けつけようとした。しかし、片腕の烏賊参枚が双翼の足をつかんだため、助けられる距離にいけなかった。
「クッ…このままではあの少年がっ!!」
 ――変幻し、砲で奴らを片付けるか? …いや、今攻撃しては少年にも当たってしまう…一体どうすれば…!!――
 双翼は片腕の烏賊参枚を振り払いながら、必死に考えた。その時――
「…テメェらっ……こっちは二人なのに四匹も五匹もいっぺんに出てきやがってっ…」
 何とかして水から少し顔を出した若武者が、言った。その声は、心なしか先ほどよりも低い。
「いい加減にしろこの野郎おぉぉッ!!!」
 若武者はそう叫ぶのとほぼ同時に、烏賊参枚の中から飛び上がった。次の瞬間、若武者の鎧と槍に黄色く輝く石が出現し、背中からはコウモリのような羽が生え、そして、バサッと羽を一度動かした直後に彼の瞳は真っ赤に染まった。
「妖魔解禁ッ! 黒翼神【コクヨクシン】頑駄無ッ!!!」
「こ……黒…翼…神…?」
 若武者の変貌後の姿――黒翼神を見た瞬間、双翼には彼の姿が記憶の中の何かと重なった。
「テメェらさっきはよくも好き勝手やってくれたなぁ…借りはきっちり返させてもらうぜッ!」
 空中ではばたきながら、黒翼神は烏賊参枚を見下ろして言った。そして槍をかまえ――
「くらえ! 魔翼槍術【まよくそうじゅつ】――滅千爪【めっせんそう】!!!」
 黒翼神はそう言うのが早いか否か、烏賊参枚の中心に再び降り、槍を目にも止まらぬ速さで振り回した。烏賊参枚の体や足は、あっという間に斬り裂かてゆく。
「…槍による、長射程の斬撃……この技は……」
 ――かつて魔翼神が使っていたもの――!!
 今、双翼には、黒翼神と魔翼神の姿がはっきりと重なっていた。
 ――まさか、この少年が魔翼神の生まれ変わりなのか…? 魔翼神の“意思”を宿しているというのか!?――
 双翼は目を見開き、じっと黒翼神を見つめ続けていた。やがて、若武者の周りにいた四匹の烏賊参枚は動かなくなった。
「クククッ…ま、こんなモンだな。」
 黒翼神は烏賊参枚の姿を見ながら、満足そうに笑っていた。
「ろっ。」
 双翼は奇妙な声を聞いてハッと我に返った。よく見ると、黒翼神は気づいていないようだが、一匹残った片腕の烏賊参枚が、そっと彼の後ろに近付いていた。そして、その腕を振り上げる。
「!? しまった、まだ一匹――」
「討魔武爪【とうまむそう】ッ!!!」
 黒翼神が烏賊参枚の接近にようやく気づいたその瞬間、烏賊参枚は白い光の刃に真っ二つにされた。黒翼神が光の刃が放たれた方を見ると、そこには刀を手にした双翼が立っていた。
「…ほう、強いな…」
 黒翼神はそう言うと、にやりと笑いながら双翼に一歩近づいた。
 ――まだ戦う気か!?――
 双翼はそう思い、刀を握る手に力を込めた。が――
 ぱた ぱた ぱた
 軽い音を立てて、黒翼神の羽や鎧・槍の石がしまわれた。ア然とする双翼に、姿こそ元に戻った黒翼神は近づいてくる。そして、いきなり双翼の両手をつかんだ。
「ありがとうございますありがとうございます! 危うく妖怪に取って食われるところでした!」
 若武者はそう言って双翼の腕をブンブンと上下に振った。
「え、あ、いや、別に大したことは…」
 ――ほとんど、烏賊参枚を倒したのは君なんだが…――
 そう思いながら、双翼は若武者の変わりぶりにただただ苦笑をしていた。


「俺、黒翼【コクヨク】っていいます! よろしければお名前を聞かせてもらえませんかっ?」
 水から上がりながら、若武者――黒翼はそう聞いた。
「私か? 私は双翼だ。自分の剣技に磨きをかけるため、旅をしている。」
 双翼が答えると、黒翼の目はぱぁっと輝いた。
「自分の剣技に磨きをかけるため!? じゃあ、修行の旅ってことですよね?」
「あぁ、そうだが…何か?」
 双翼が聞き返すと、黒翼はいきなり真顔になった。
「お願いします、俺を弟子にして、一緒にお供させてください!!」
 そう言い終わると同時に、黒翼は頭を下げた。
「え? そ、そんな急に…」
 突然のことで、双翼はどう返事をすれば分からなかった。すると黒翼は言葉を続けた。
「俺、元々農民なんですけど、ずっと武者になることを夢見てたんです! 今、村の皆が協力してくれたおかげで俺は武者になるための修行中なんですけど、俺には師匠とかいなくて…」
 ――それで私に修行をつけてほしいということか…――
 双翼は黒翼の言わんとすることを理解した、が、それを受けることには迷いがあった。
「…すまないが、私は修業中の身…弟子をとることはできないんだ。」
 双翼は、黒翼の顔を見ずに言った。そして、くるりと黒翼に背を向けた。
 先ほどの姿――黒翼神の状態を見る限り、黒翼は魔翼神の生まれ変わりに間違いないであろう。しかし、今の黒翼には、魔翼神の意思があるとは思えない――恐らくは、まだ魔翼神の意思に覚醒していないのだ。そんな黒翼に自分が接触して、魔翼神の意思が覚醒しないだろうか――双翼にはそれが不安であったのだ。
「……そう、ですか……」
 黒翼は残念そうに言った。その時、双翼の心は再び揺れた。
 ――私が接触しなければ、、もしかしたら彼の中の魔翼神の意思は一生覚醒しないかもしれない……だが、それでいいのか? 彼は真剣に私を頼っている。それなのに、私は…――
 双翼は、再び口を開いた。
「…まぁ、弟子として修行をつけるのは無理だが、共に修行をする“義兄弟”のような関係なら私は希望するんだがな。」
 双翼の言葉を聞き、黒翼は再び笑顔を見せた。
「い、いいんですかッ!? 俺なんかと義兄弟でっ…」
 黒翼がそう言ったのを聞き双翼は振り向いた。
「私が希望するのは“師弟”よりむしろ“兄弟”と今言っただろう。不満かい?」
「いっ、いえめっそうもない!!」
 慌てて首を振る黒翼を見、双翼は笑った。
「じゃあ、一緒に行こうか。…私は、次の修行を於雄得山でしようと思っているんだ。…と言っても、まだ先は長いから、今日は女里鈴村【メリリンむら】に泊まるつもりだがな。」
「え? 女里鈴村って……けっこう遠くありませんでしたっけ…?」
 黒翼はそう言って首をかしげた。
「あぁ。…急がないと日が暮れてしまうな。よし、今から走っていこう。」
 双翼が言った直後、黒翼は嫌そうな顔をした。
「ほら、嫌そうな顔をするな。これも修行の一環だ!」
 そう言うと、双翼は早速走り出した。
「あっ! 待ってよ兄貴――ッ!」
 黒翼は双翼がどんどん先に言ってしまうのを見、慌てて走り出した。


「…ところで兄貴。」
 ようやく追いついてきた黒翼が、双翼に話し掛けた。
「何だ?」
「さっき雷瀬留湖にイカほっぽって来ちゃったけど……あれって食べれたの?」
「…硬くて不味いぞ。」
「…。」


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